ノートルダム大聖堂に想いを馳せる
2019年4月15日夜(現地時間)、パリ・ノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生した。
立ち上る火柱と、一帯を覆う白煙。それらに包まれ、ポッキリと折れて崩れ落ちる尖塔。
1163年着工、最終的な竣工までは約200年。
フランス革命以降は幾度となく襲撃や略奪の対象となったが、19世紀に修復。
約850年もの間、セーヌ河岸からパリ市民を見守り、ジャンヌ=ダルクの復権裁判やナポレオンの戴冠式など、数々の歴史的瞬間に立ち会ってきた、花の都のシンボル。
それは、ずっと普遍だと思っていた。
人の一生の何倍もの間、そこで歴史を見守ってきた都市のシンボルは、この先いつ行っても、変わらぬ姿で迎えてくれると信じ切っていた。
ニュースを知った時の私は、何も言葉が出なかった。
ショックとか胸が痛むとか、そういう言葉では表せない感情だった。
私は、2014年にノートルダム大聖堂を訪問している。
クリスマス。ヨーロッパ横断旅行の最中だった私は、パリに2日滞在し、そのうち丸1日をパリ市内観光にあてていた。
フランスでは、クリスマスには多くの店や施設が休業する。この日はルーブル美術館も休館。
だが、バカンスでパリを訪れる外国人は多く、観光客は自ずと開いている施設に集中する形となる。
行く先々でそれなりに混んでおり、あまりゆっくり見ることができない。ノートルダム大聖堂も然り。
それで、結局、全体的に「さらっと流して見る」程度で済ませてしまったのだ。
久しぶりに長い旅行に出ていた私は、時間に余裕がなければ訪れることができない小さな町を訪問することに重きを置いていた。
ツアーに組み込まれない町の、ガイドブックにも載っていないような、もはや観光地と呼べるかもあいまいな場所を、一人バックパッカーで訪れるのが醍醐味だった。
その点においては、パリならば直行便もあるし、来ようと思えば比較的容易に来れる。そう思うと優先度が下がるのだ。
パリ単体であれば短期の日程でも組めるし、ツアーだって豊富に組まれている。もっともっと年を取ってからオバちゃん仲間でワイワイ来てもいい。
だからまた今度で大丈夫。そういう思いがあった。
あれほど巨大で堂々とした大聖堂が火災で脆く崩れるなんて想像ができなかった。
じっくり時間をかけて隅々まで見ておくべきだった、と思ったけど、これに限らず、毎日毎日何万回と繰り返している判断の中で切り捨てたものにも、もう二度と出会えないものが山ほどあるのだろう。
今思えば、どんなに大きな街の、どんなに有名な場所でも、今この時を逃したらもう見ることはできないかもしれない。それは変わらないのだ。先のことは誰にも分からない。
だからと言って全てをこなすことは出来ないし、何かを止めたり諦めたり捨てたり先延ばししたりすることにはなるけど、どんなに小さなことでも、同じ機会は二度と訪れないかもしれないという気持ちになると、ちょっと判断基準が変わるかもしれない。
当時の写真を見ながらそんな事を考えていた。
※この記事の写真はすべて2014年12月に撮影しました。