雨の下関、明治維新の足跡を辿る

台風が過ぎ去ったあとの下関。
風はまだ強い。

今日は午後から山陰本線に乗る予定だ。
昼過ぎまでは、下関を観光しようと駅の観光案内所へ向かった。
宿から駅までは徒歩5、6分程度だったが、歩いている間に傘が役に立たないほど土砂降りになり、そしてふっと止んだ。目まぐるしく変わるお天気だ。

特に目的がない限り、私は事前にガイドブック等で予習せず、観光情報は現地調達することが多い。
窓口で周辺の地図を貰い、半日くらいで雨天の影響を受けない観光コースを訊いてみた。

下関駅から徒歩圏内に、明治維新の史跡が点々としている。
「お好きな方には、良いのではないかと・・・」と観光案内所のおじさんは言った。

維新の史跡マップ

駅前にも案内マップがある

高杉晋作と奇兵隊の歩みを追って

時折強くなる雨の中、傘をさしてとぼとぼと歩き始める。まずは、JR下関駅西口側へ。
今日は主に徒歩で回れる範囲の史跡を訪れてみる。

・白石正一郎宅跡(奇兵隊結成の地)
下関駅西口を出て徒歩5分。駅からもっとも近い史跡がここだ。
荷受問屋の当主にして、歌人。43歳の頃、国学者鈴木重胤の門下に入る。藩内外の志士のを物心ともに支えた白石正一郎の邸宅跡地。文久3年(1863年)ここで奇兵隊が結成され、正一郎自身も入隊した。
現在、宅跡地は中国電力下関営業所になっており、敷地の一画に碑が立っているが、ここにはかつて浜門があり、海へ通じていたという。

敷地の一角に碑がある

奇兵隊結成の地の碑

 

・ひょうたん井戸
長府藩士らの夜襲を受けた高杉晋作が丸一日潜伏していたという井戸。
住宅街の中、奥まった小路の先の民家の前にある。
小さな案内板が出ているので見落とさないよう。こんな所に観光客が来ていいものか、ドキドキしながら見学させて頂く。

ひょうたん井戸の案内板

ひょうたん井戸

説明文

 

・厳島神社
慶応2年(1866年)小倉戦争の戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓を、高杉晋作が戦勝祈願を行っていたこの厳島神社に奉納したという。

厳島神社

直径110cm、重量390kg。
離れて見ると分かりづらいが、真下に来るとその重量感に圧倒される。

大太鼓

 

・高杉晋作療養の地
小倉戦争にて指揮を執り幕府軍を撃退したものの、肺結核の病状が悪化した晋作が静養した地。
厳島神社の脇の道を入って、JR山陽本線の線路の下をくぐった先。民家のブロック塀に案内板が掲示されている。

高杉晋作療養の地

説明文

 

・高杉晋作終焉の地
小倉戦争で幕府の倒壊が決定的になったが、病が悪化した晋作は大政奉還を見届けることなく、慶応3年(1867年)4月14日この地にて生涯を終えたとされる。
住宅地の一角に碑がある。脇の案内板は近年設置されたもので新しい。白石家からの寄付で環境整備を行ったとある。正一郎の遺志が今も受け継がれているようで感慨深い。

高杉晋作終焉の地

説明文

 

ここまで回りながら薄々感づいたことだが、まあ、地味である。
観光案内所のおじさんが「お好きな方には・・・」と付け加えた理由が分かった気がする。
ゆかりの地、とはそういうものなのかもしれないが、実物を目で見て体感するというよりは、碑文を読んで目を閉じ当時を想う旅だ。

異世界感漂うまちを愉しむ

山陰本線の線路を越え、グリーンモール商店街を通って駅前まで戻る。突然視界に鮮やかな色彩が飛び込んでくる。ここの商店街はリトル釜山と呼ばれているらしい。

商店街

韓国風のオブジェ

商店街は駅前まで続き、韓国風の門で終わる。

門

門ごしに、ノートルダム下関という結婚式場のカテドラルが見える。なかなかカオスだ。

ここからは駅の東口側へ。ふたたび維新ゆかりの地めぐり。

・大歳神社
壇ノ浦の戦いに先立ち、源頼朝が戦勝祈願を行った有様を畏敬し、漁民が神祠を祀ったのが起源とされる。
以来、武運長久の神として、奇兵隊旗揚げ時には軍旗が奉納された。
大鳥居は維新志士の支援者、白石正一郎が寄進したもの。

鳥居

 

・晋作通り
晋作通りという名の通りは、歓楽街。何かすごく育ちの良さそうな晋作胸像。険しい表情の多い晋作さんのこういう柔らかい一面は珍しい。そしてちゃあんと、盃を持っている。ここいらで呑んでいたのだろうか。

高杉晋作の胸像

 

・日和山公園
晋作通りから道を入ってひたすら階段を登る。日和山公園は高台にある下関最古の公園だ。
春は花見スポットらしいが、今日は天気のせいかまったく人がいない。
驚いたのは、この高台へのぼる途中にも民家があって人が住んでいるということ。

長い長い階段

息をきらして階段を登り終えると、下関港まで見渡すことができる。

港が見える

そしてさらに高い所から下関の街を一望している陶像。下の通りにいた呑兵衛の晋作さんと随分様子が違うじゃないか。

高杉晋作の陶像

高杉晋作の陶像

 

帰りは脇の小道を通って下る。参道の階段よりはゆるやかだが、細く長い小路に坂と不規則な階段が続く。途中途中に枝分かれした先にはさらに小さい階段があり、各戸の入口に続いているようだ。両脇は高い石垣で囲まれ閉ざされた空間のようでいて、遠くには港を見晴らす不思議な場所。誰もいないせいか、異世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

階段のある道

階段のある道

 

海峡ゆめタワーのあたりまで戻ってきた。この辺りは南国リゾート風。また別の世界に来たようだ。頭が追い付かない。

海峡ゆめタワー

 

雨上がりの午後、山陰本線

13時くらいに駅に戻る。所要時間約3時間で随分歩いた。

昼は下関駅改札外の「味一」で。
ふく天うどん 600円

ふくの天ぷらが載っている

大きなふぐの天ぷら、ネギ、カマボコが載ってる。
麺は細く、柔らかい。
つゆは薄い色でアッサリしてる。
テーブル設置の唐辛子は一味唐辛子。真っ赤で見るからに辛そうな色だ。
このあたりのそば・うどん店には一味が設置されていることが多く、辛党の私には大変嬉しい。

下関駅ホーム

下関駅ホーム

下関駅9番線から山陰本線へ。
番線表示板の文字、時計、屋根。
レトロな雰囲気で旅情をそそる。

台風一過。
午前中の曇天が嘘のように晴れた。
山陰本線の、一番好きな景色が見れた。

車窓

阿川で全ての乗客が降り、私だけになった。
次の長門粟野でひとり乗ってくるまでは、この景色をめいっぱい独り占めした。

車内

(2019.7.21)